マスタング(フォード)コブラ(1998年3月). クルマ・ポータルサイト グーネット中古車. 0 お気に入り · 閲覧履歴.


1964年2月にシェルビー・アメリカン社から発行された289cidエンジンを積んだCobra Mark IIのスペックとオプショナルパーツの価格表。車両価格は5995ドルでMark Iと同じであった。北米向けMark IIの生産台数は580台と言われる。その内30台ほどにATが積まれたという。


シェルビーコブラ エンブレム の 刺繍を施したフロアマット / スーパフォーマンス ・ マークⅢ · IMG_2614

フォードがキャロル・シェルビーの計画に本気で協力したことから、ACコブラのプロジェクトは調子よく進んだ。加えて、1964年にはレース仕様「シェルビー・デイトナ・コブラ・クーペ」も開発。このモデルは当時の耐久レースにおけるGTクラスで連戦優勝し、64年のルマン24時間レースでも総合4位に入賞したのだった。

と、聞くと典型的なアメ車のように思えるが、じつはベースとなったのはイギリス車だ。コブラは正式にはACコブラと言い、ACとはACカーズというイギリスのメーカーで、ACエースというモデルを作っていた。これ自体は設計が古かったうえ、搭載するエンジンが決まらずに会社自体が経営難に陥っていたが、そこにアメリカ人のレーシングドライバー、キャロル・シェルビーが4.2リッターのフォード製V型8気筒エンジンを搭載することを提案。つまり、イギリスとアメリカの合作的なクルマがACコブラなのだ。

D車マスタングをコブラエンブレムに交換 | ASDN販売店のブログ

実はこのコブラを買う以前から、スポーツ系の車に乗っていたんですよ。最初に買ってもらった車はスイフトスポーツで大学生の頃でした。本当は自分でS2000を買いたかったのですが、父が「一人娘にそんな危ないマネさせられるか、ワシが買うたるからこの中から選べ」とカタログを出してきて。デミオとかフィットとかコンパクトカーを並べられ、もはやスイフトスポーツしか選択肢がないような状態でしたね。

上の3点は1963年11月になって初めて生産された、右ハンドルの289cid(4736cc)280ps/5800rpm、38.6kg-m/4500rpmエンジンを積んだMark II。英国のAC Cars社で発行されたカタログで車名は「AC COBRA」となっている。フェンダーサイドにルーバーが付けられているが、これはAC Cars社で組み立てた130台目から追加されたもので、1963年4月に100台目を生産していることから、ヨーロッパ仕様はすべてルーバー付きで出荷されたであろう。なお、1963年の途中でステアリングがラック&ピニオン式に変更されている。

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ACコブラは、デイトナ コブラクーペで1960年代のル・マンにて毎年フェラーリと争うほどの高い戦闘能力を発揮し、1965年には、289コブラでGT世界チャンピオンを獲得しています。
キャロル・シェルビーが確信した通り、ACエースのボディとフォードエンジンの組み合わせは高いポテンシャルを秘めた車であったことがモータースポーツでの活躍によって証明されたことになります。

ACカーズとのコラボレーションが終わったあとも、キャロル・シェルビーは「シェルビー・コブラ」として同車を作り続けた。アストンマーティンDBR1で1959年のルマン24時間レースでの優勝経験を持つ、すぐれたレーシングドライバーでもあるシェルビーの“ブランド力”もあり、いまも人気が高い。

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「コブラ」はかなり古くから日本に住みついていた。写真の場所は神戸ポートアイランドにあるイタリア風の雰囲気を持った市民広場で、イベントは「モンテ・ミリア」と名付けられた「ミッレ・ミリア」をイメージしたもので、ミーティングの後、六甲の山道を一巡りするところから「モンテ」(山)となったのだろう。会場は9割までがイタリア車で、遠くから見ると広場全体が真っ赤に見えるほどだった。


「コブラ」は「ACエース」から進化したものだが、その証としてフェンダーの張出が状況に応じて何段階かに分かれて確認できる。最初の車に比べれば2番目とこの車(3番目)」は中程度といえる。フォード・フェアレーンから転用されたV8エンジンは「Cobra Powerd by Ford」のヘッドに変わっているが、大型のエアクリーナーは特にレース仕様とは思えない。


シェルビー コブラ ライセンスドモデル20年以上も継続生産し、20周年記念車も発表しています。 PRODUCTOIN FLOW 生産工程.

フォードから送られてきた1963年のレーシング戦績一覧。これにも発行した社名はなく「COBRA powered by Ford」とあるのみ。1月のリバーサイドはコブラにとって初の勝利で、その後もセブリング、ルマン、ワトキンスグレン、リバーサイドなど多くの勝利を重ねている。

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1965年2月に開催されたデイトナ・コンチネンタル2000kmレースのプログラム。No.14はハル・ケック(Hal Keck)とジョー・シュレッサー(Jo Schlesser)のドライブで総合2位、GTカテゴリーで優勝したCobra Coupe。このレースでは、1965年シーズンからシェルビー・アメリカンに託されたフォードGT40が初めて総合優勝している。
Cobra Coupeは打倒フェラーリ250GTOを目指して、1963年10月に開発をスタート、デザイナーのピート・ブロック(Pete Brock)を中心に、1964年2月のデイトナ・コンチネンタル2000kmレースに間に合わせるべく、信じられないような短期間で開発され、計画どおり1964年のデイトナにデビュー、十分なリードを保っていたが、ピット作業中に火災事故が発生リタイアしてしまった。このレースでは1~3位を独占したフェラーリ250GTOに続いてダン・ガーニー(Dan Gurney)/ボブ・ジョンソン(Bob Johnson)組のCobra ロードスターが7気筒になりながらも4位でフィニッシュしている。初戦のデイトナにちなみCobra Daytona Coupeと呼ばれ、合計6台製作された。最初の1台はシェルビーで組み立てたが、残り5台のボディー架装はイタリアのカロッツェリア グランスポルト(Carrozzeria Gransport)で実施されている。

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アメリカ人レーシングドライバー、キャロル・シェルビー氏により考案されたことで、『シェルビー・コブラ』とも呼ばれており、1962年から生産されています。

【世界の名車】1960年代に400馬力オーバーの怪物「ACコブラ」

実際は、それなりに毀誉褒貶(きよほうへん)もあり、たとえばシェルビー・コブラをめぐっても、当時と同じオリジナルの部品で組み立てているという触れ込みに対して、使っているのはごくわずかな数のパーツではないかと批判を受けたこともある。

車。もちろんオークションなどでは高値の象徴のようなスーパーマシンのコブラ ..

ちなみに、ちょっとばかり試乗させてもらったのだが、フィールは抜群に素晴らしく、パワー的にもこれで十分という感じ。この上にはシェルビー アメリカンが発売するCSXシリーズと同等の427cu. in.(約7000cc)のエンジンや現代の最新ユニットも用意されるというが、日本の公道を走る限りにおいては302 cu. in.で十分というか、「これでも持て余すんじゃないか」と感じるほどのパワー感だった。

こういった、ホイールベースが短くて車高が低くて軽量で電子制御のアシストのないクラシカルなリアルスポーツカーというのは、体感速度が半端ではなし、法定速度で走っているだけでも十二分に楽しい。

とはいえ、昔ながらのマニュアルミッションで、ハンドルもブレーキも重く、エアコンも付いてなく、居住環境によっては年に2回くらいのキャブレター調整も必要だしと、現代のスポーツカーとは比べものにならないくらい「面倒」な部分もあるに違いないが、それででも、あえて「これが良い」と本気で思えるほど刺激的。

それって「誰もが乗れるクルマじゃないよ」的な優越感もあるし、アメ車の旧車好きであるなら、ボディデザインからエンジンフィール、ステアリングフィール、ブレーキフィールにおいて、当時の面影を如実に感じることができるのだから、飾り用のフルレストア済みのC2コルベットも良いが、このスーパフォーマンス・マーク3は現代の交通事情にも即応するだけに、走りを楽しむ相棒として、購入候補にあげても良いと思うのである。

オートクラフト|マーク4|ACコブラ MkIV ライトウェイトの中古車

続いて「マークII」そして65年には「427」とも呼ばれる「マークIII」が発売された。427キュービックインチすなわち7リッターのフォード製V8エンジン搭載車だ。ACコブラというとたいていのひとが思い浮かべるのが、この迫力あるモデルである。

「Car」のアイデア 12 件 | acコブラ, コブラ 車, 車 ロゴ


名車コブラのオートクラフトが入庫いたしました。
オートクラフト社は、ACカーズから商標権やジグなどを買い取り新しいコブラ“Mk
IV”を世に送り出しました。
このMk IVは、AC289(Mk II)をベースに1982年にオートクラフト社によりリリースされたモデルです。
ちなみに、かの有名な427コブラはMK IIIにあたります。
そして、総生産台数は400台余りと非常にレアなモデルでもあります。
こちらの個体は、AKLの車台番号からライトウェイトモデルであることが確認できます。
ライトウェイトの魅力は後ほど。
さらに、こだわる方には堪らない「横浜33ナンバー」が付いております。
2桁ナンバーは、一度失ってしまうともう2度と付けることはできませんので、早い者勝ちでございます。

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1964年にフォードのファクトリーチームを務めたアラン・マン・レーシングが走らせたシェルビー・デイトナ・コブラ・クーペ

【アメ車】超濃厚コブラ談義!意外な事実も発覚しました!【WING AUTO】.

アメ車やモンスタースポーツカーの歴史に興味がある人なら、コブラは別格の存在だろう。ロングノーズの2シーターボディに、アメ車らしく大排気量のV型8気筒エンジンを搭載したマシンで、1トンほどのボディに4.7リッターや7リッターのエンジンを搭載。1960年代ですでに400馬力オーバーを発揮していたのは驚くべきことで、あまりに太いトルクゆえ、荒い操作をするとドライブシャフトがねじ切れたりするほどだ。

やっと見れた♪ コブラマーク!! 金沢のDからの帰りに小杉ICで降りて、IC近くのThree Stageに顔を出してみたら..

レースでの参戦となると一番有名なのはシェルビーデイトナで、コブラのクーペ版となるマシンである。ル・マン参戦、そして打倒フェラーリを目標として誕生したマシン。性能も上々だったがエンジンなどの供給元であるフォードとの関係で、デイトナ24時間での活躍に止まってしまったのは残念なところ。

【最強伝説】コブラ427誕生50周年!歴代有名マシン一挙振り返り!

ただぼくは、シェルビーに関しては人間的に嫌いになれない。本人とはかつてごく短い時間、話したことがあるだけなので、その内面まではわからないが、「キャロル・シェルビー・ファウンデーション」のことを知っていたからだ。

マーク→すべて をしていただくと当社の新着バイクがグーバイクより ..

上の4点は1963年にフォードから送られてきたカタログ。289cid(4736cc)270ps/5800rpmエンジンを積んだMark IIモデルでサイズはMark Iと同じだが、車両重量は2030lb(920.8kg)、タイヤは6.40×15。0 - 1/4mile(402m)加速13.8秒、最高速度155mph(249km/h)となっている。車名は「COBRA powered by Ford」でSHELBYもACの名前もない。発行した社名もなく、小さい文字で「Design by Richard C. Runyon, illustration by George Bartell & art directed by Peter Brock」とあるのみ。