違います!絶好調の2台のコブラで、快晴の紅葉が始まる木曽を走ります。 新車の様な美しいコンテンポラリー・コブラ ..


1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。


「AC コブラ 輸入」の中古車 | 中古車なら【カーセンサーnet】

「乗ってみたい!」と興味を持った女性を乗せてのドライブも、むろん今どきのクルマのような快適性があるわけではないが、このちょっとスパルタンな感覚をいっしょに楽しめるぐらい、というイメージだ。


(写真06-1ab)1954 Colombo-Mariani 1100 (2000-05/ミッレミリア)
2000年のミッレミリアで撮影した「コロンボ」という車だが、残念ながら素性が全く判らない。1940年代フェラーリで後年「コロンボ・エンジン」と呼ばれる傑作を残した設計者「ジョアッキーノ・コロンボ」は、1953年にはマセラティで250Fのエンジンを製作中であり、1955年にはブガッティに移りT251を造っているので、こんな車を作っている暇は無さそうだ。ミッレミリアでは見たことも聞いたこともない謎の車によく出逢うが、中には器用な人が趣味で造ってしまった一品ものまであるから厄介だ。「1100」とあるのでご多分に漏れずベースは「フィアット1100」だろう。念のため1954年と1955年のミッレミリア出走リストで調べたが該当する車名は見当たらなかった。もしかしたら「フィアット1100改」で出ていたかも知れないが・・。
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[デザイン速報] シェルビーコブラ がなんと復活! しかもEVじゃなくて5.0L V8とかACカーズ本気出しすぎでしょ..

前後ダブルウィッシュボーン式の足まわりは、このままサーキットも走れそうなほど締め上げられた感覚がありながらも、乗り心地が硬すぎることもなく、ちょうどよい印象。

逆に、ラックアンドピニオン式のステアリングはノンアシスト。田邊氏によると、パワステ付きも試したそうだが、強い加速時に舵が取られる傾向が見られたので、あえてノンパワステとしたとのこと。そして、ギア比を最適化することで、重くなりすぎないようにしたという。

ACコブラのベース車であるACエースは、1953年に発売されたブリストル カーズ製の直列6気筒エンジンを搭載したスポーツカーでした。


クラッチとブレーキにはパワーアシスト機構が付いているので、操作力はだいぶ低減されている。むろん一般的な市販車に比べるとアシスト力は小さいものの、そのぶんダイレクト感があってコントロールしやすい。タイヤが太く車両重量が軽いことも手伝って、ストッピングパワーに不安はない。

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(3)<コメット> (米・マーキュリー)1960~
1903年に創立されたフォード・モーター社のラインアップは1960年時点では上から「リンカーン」「マーキュリー」「フォード」となっていた。創立者のヘンリー・フォードは頑固に実用一点張りでT型を造り続けて来たが、1922年息子のエドセルの意見を入れて高級車「リンカーン」を買収し、高級車と大衆車の2本立てとなった。しかし1930年代になるとライバルのGMは「ビュイック」「オールズモビル」「ポンティアック」、クライスラーは「デソート」「ダッジ」、その他独立系でも「ナッシュ」、「ハドソン」、「スチュードベーカー」など、中級車クラスが市場を占める割合が大きくなった。出遅れたフォードには追いつくために適当な買収先が見つからなかったのか、1938年新しく創設されたのが「マーキュリー」で、戦後の1949 年専用のボディが提供されるまではフォードと同じスタイルに一回り大きいエンジンを積んだものだった。しかし1950年代に入ると大型高級化が進み、大衆車フォードの兄貴分だったマーキュリーはいつの間にか高級車リンカーンの弟分と化した。1960年前後になると大きくなりすぎたことへの反省から各社から1930年代に近いサイズに小型化された、いわゆる「コンパクトカー」が発売され、フォードは1959年から「ファルコン」が投入され、翌1960年からマーキュリー」には「コメット」が誕生した。

スーパフォーマンス MK3 COBRA シェルビー コブラ ライセンスドモデル 7.0L 427OHVエンジン

試乗車に搭載されていたのは、448PSと57.8kgmを発生する5.7リッターのV8ユニット。これをわずか920kgの車体に積んだのだから、パワーウエイトレシオは2kg/PS少々という数値となり、加速は強烈だ。猛々しいV8サウンドを奏でながら、圧倒的な動力性能を魅せつける。


ノーマルのムスタングは200hp/4400rpmだが、シェルビー・マスタングは同じ排気量から306hp/6000rpmを絞り出している。写真の車の外見は殆どノーマルと同じように見えるがボンネットサイドに「GT350」と入っており、中身は凄いことを割と控えめに主張しているが、この年はどこにも「コブラ」のネームは入っていない。


クルマ大国のアメリカで、特別視されているスポーツカーがある。1台はシボレー・コルベット、そしてもう1台がシェルビーACコブラだ。


(1-4)<フォード版 ムスタングGT・シェルビー・コブラ>(1966-70)フォードからエンジンの提供を受けているシェルビーは1965年から「フォ-ド・ムスタング」のハイパフォーマンス版の開発を委託され1966 年「GT350」シリーズを完成させ、67年から「GT500」が加わった。当初は「289」キュービック・インチだったエンジンは67年「390」、68年には「428」が登場した。これらの一連のムスタング・シリーズは「シェルビー」の名は付いているが製造も販売もフォードが行っており、ムスタングに箔をつけるため「コブラ」の名前を利用したとも考えられ、スポーツマインドを持った「シェルビー・コブラ427」とは全く別のコンセプトの車だ。

ACコブラで有名なキャロル・シェルビーは、1960年代に入ると目が回りそうな忙しさだったに違いありません。 ..


写真の車は第3回 日本GP予選で雨のなかを疾走する雄姿だ。決勝ではプリンスR380、トヨタ2000GT、ポルシェ・カレラ6などを向うに回し大健闘したが、2位を走っていたラップ47でエンジン・トラブルのため13周を残してリタイアした。この車は前年のルマン24時間に出場した車そのもので、エンジンを新しく積み換えたものだった。この車は特に後姿が印象的だ。

シェルビー コブラ 427 (Shelby COBRA 427)

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ベースはコルベット?などといったコブラとは違い シェルビーアメリカンにより


ACコブラ289のシャシーにピーター・ブロックがデザインした軽量ボディを載せたこの車は、1964年2月「デイトナ2000km」でデビューし大成功したので、以後「デイトナ・コブラ」と呼ばれる。1965年には「フェラーリGTO」を抑え、GTⅢ部門で「ワールド・マニュファクチャラース・チャンピオン」となっている実力の持ち主である。「デイトナ・コブラ」のエンジンにはフォードV8 289キュービック・インチ(4727cc)が使用されている。ピート・ブロックはキャロル・シェルビーがドライバーをやめて、次のビジネスに取り組んだ時からの強力なパートナーだが、僕個人にとってこの名前は1967年日本GPにエントリーしただけでレースを走らなかった幻の車「HINO SAMURAI」という日野コンテッサをベースにした物凄く格好良かったスポーツカーのデザイナーとしての印象が強く残っている。

シェルビー社により世界で唯一認可されたシェルビーコブラのライセンスドモデル「スーパフォーマンス MK3 427コブラ ..

コブラの中古車価格は、どこが製作したものかが不明な海外のレプリカモデルでも400〜500万円します。
ERA、スーパフォーマンスなどの正式なリプロダクションモデルは、1,000〜1,500万円です。

ユーノスロードスターやカプチーノベースのレプリカは200〜400万円となっていますが、残念ながら明らかにレプリカと分かるフォルムです。
しかしベースが日本車であれば安心して乗れるコブラです。

SHELBY COBRA シェルビーコブラ AC COBRA ACコブラ 伝説

これまでのファクトリービルド「AK427」は「Generation II」のキットで組み立てられていたが、UKクラシックファクトリーが取り扱うのは最新の「Generation III “Supa Lite” Body/Chassis」を用いたもの。そのため、まだ正式な車両価格は発表されていないが、UKクラシックファクトリーの勝見祐幸ディレクターに確認したところ、1500万円(税別)を予定しているとのことだ。そして日本での需要が高まれば、ファクトリービルドの年間生産台数も増やすとしている。

イギリスのACカーズとで つくられた伝説のマッスルカー シェルビー・コブラ ..


ここまで来ると「AC」と「コブラ」の区分けがこんがらかってしまうが、「コブラ427」の発展型「AC428」も、ついでに紹介しておこう。1965年誕生したこの車はシェルビー・コブラと違って英国で生産される。中身は7リッターのコブラをベースにしたものだが、エンジン製造元のアメリカでは「コブラ427」の排気量が1966年から「428キュービックインチ」に変わっているのでそれが使われている。イタリアの「フルア」のデザインで、直線を生かしたすっきりしたボディには、荒々しさはなく上品で街中でも周辺りに気兼ねなく乗れそうだが、性能は「コブラ」と変わらず400馬力のエンジンは最高時速240キロ、SS1/4マイルを14秒で走りきるスーパーカーである。

驚愕の燃費リッター2キロ…27歳OLが10年間節約を続け ..

APモデルは、長年シェルビーの正規代理店として、コブラの日本への輸入販売を手がけてきた田邊氏が、日本のビギナーにもコブラを楽しんでもらえるようにとの思いから、低価格で、乗りやすく、メンテナンス性に優れることに考慮して最適にアレンジした、田邊代表いわく「これまで培ってきたノウハウの結集」である。

マッスルカー オーナーはまさかの女の子! 車に対する想いの次元が違い ..

そして、中国をはじめ極東地域のさらなる販路拡大に向けて、2010年7月にシェルビーアジアを設立。同年11月ショールームオープン。さらに翌2011年6月にはシェルビー製品に関するロイヤリティを統括するシェルビーライセンシングとの正式契約にいたった。

0 - 1/4mile(402m)加速13.8秒、最高速度153mph(246km/h)。

コブラの愛好家は今でも世界中にいるわけだが、日本へのコブラの輸入販売をいち早く手がけたのが、冒頭で紹介した田邊正剛氏だ。1986年より一貫してコブラに携わってきて、その実績がキャロル・シェルビー氏に認められた同氏は、1997年に極東地域で唯一、「シェルビー」の商標使用権を獲得。以来、日本における正規輸入販売代理店となっていた。

新車価格―


1960年誕生したてのマーキュリー版コンパクトカー「コメット」で、エンジンの6気筒 2364cc は、フルサイズのマーキュリー・モンテレー5110cc、モントクレア7043ccに較べれば、半分以下、1/3以下なのでアメリカとしてはずいぶん小さいと感じる排気量だ。ホイールベースの114インチは約3010ミリで、初代トヨペットクラウンの2530ミリに較べればかなり大きい。生まれたての「コメット」のグリルはフルサイズの凹型曲面モチーフから転用したものだ。場所は虎の門病院の前で、隣がアメリカ大使館なので最新のアメリカ車を見つけるには絶好の場所だった。

車に興味がない人でも思わず見とれてしまう「AC・コブラ」


この車のプロトタイプは1953年のミッレミリアに登場した「アルファロメオ・アバルト-コンレロ2000」で、翌年フィアットV8」のシャシーの載せて「スーパーソニック」として市販された。デザインはサヴォヌッティで「カロセリア・ギア」が作った。写真の車は、このボディをもとに作られ勿論中身は427コブラのスペシャル・チューニングエンジンが載っており、当時「J.Wオートモティーブ・チーム」の花形ドライバー-「ウイルメント」のために造られたワンオフの車だ。